◎盛林寺境内に全国一色同族会によって建立された供養塔

一色五郎供養塔建立趣意書より
一色五郎は最後の分国丹後国当主であった天正十年(1582)九月八日細川氏の宮津館に於いて悲愴な最後を遂げて、一九〇年の歴史の幕となった。

 葬地盛林寺は度々移りて墓碑不明となっているのを昭和六〇年五月藤沢市の一色文夫氏参詣して墓碑なきを嘆き、供養塔の建立の願いを持ち提唱して活動中、平成元年四月二十二日無念の思いで急逝、健脾に賛同してその具体化を期待していた有志合議し、一色後裔として供養塔の建立を依て公の冥福を祈り、丹後国一色氏百九十年の証として史跡としてを願たもうた。

 併せて一色家に殉じた多くの英霊に対して、その敬忠に祈念した。