清和天皇 (せいわてんのう)
 
    第56代天皇。在位 858.10.11〜 876.12.22 皇后藤原高子
      平安前期の天皇で、文徳天皇の第4王子
      幼少のため、外祖父藤原義房が摂政となる。
      のち、仏道に帰依し、879年(元慶3年)落飾。法諱は素真(在位858〜876)(850〜880)。

   別名:   惟仁(これひと) 水尾帝とも

   生没年: 嘉祥3年(850) 〜 元慶4年(880)(31歳)

   在位:   天安2年(858) 〜 貞観18年(876)

   宮居:   平安京(へいあんきょう:京都府京都市)

   陵:    水尾山陵(みずのおやまのみささぎ:京都市右京区嵯峨水尾清和)


清和天皇は56代天皇で文徳天皇の第四皇子。名は惟仁(これひと)。水尾帝とも呼ばれた。文徳天皇が没すると九歳にして即位したのだが最後は貞明親王(陽成天皇)に譲位して自らは仏門に入ったようである。当時は、政治の実権を握っていたのは藤原良房という人であったが彼の意志によって、良房の孫にあたる清和天皇が(なかば強引であるが)即位となった。879年(元慶3年)落飾。法諱は素真(在位858〜876)(850〜880)。           

この清和天皇から、源姓を賜った孫の経基(六孫王)で源氏の姓のはじまりとなるのである

司馬遼太郎著「街道を行く26巻
 

清和は、端正な容姿と、聡明な頭脳を持ち、しかも雅量があって寡黙だったといわれている。ただ、体が弱かった。 出家して素真と号し、本気で修行僧になり、山野を跋渉した。ついに水尾という「絶壑の地」にきて、「ここで生涯を終えたい」と、 いった。里人たちは、自分たちの里の美しさを見つけてくれたこの貴人に感謝し、里の力でこの太上天皇のために山寺を建てようとし、 造営にとりかかった。清和はそれができあがるまでふもとの嵯峨の清霞観に仮住まいしていたが、やがて病を得、京の粟田口の円覚寺 に転じ、はかなくなった。

清和天皇ゆかりの地

清和源氏は源経基が9世紀に端を発し、1200年後の現在では、
(一代が約三十年として、40数代を経て)、約2百万人以上の後裔があるといわれています) 
清和天皇の血をひいた人達が、嫡流、庶流を問わず、清和源氏一族を形成しています。