一色氏の祖
◆一色公深(キンブカ)

一色公深開基 宝持寺 一色公深像

八王子市一色氏より写真提供

 
 
弘長3年(1263)10月23日足利庄で生まれ一色性を名乗ったのは公深が最初である。 

 泰氏の七男、母は櫻井判官俊光の娘で故あって母方の三河国幡豆郡吉良庄一色邑で養育された。

 宮内卿律師・左京大夫・五郎・一色阿闍梨と称し一色の祖となった。

 元応元年((1319)二男頼行に吉良庄を譲り長男範氏を伴って、
下総国葛飾郡下川辺庄田宮郷薩手(現埼玉県幸手市へ新補地頭として赴いた。幸手は父泰氏の遺領である。
 
 ●元徳2年2月17日(1330年3月7日)同地に没し、曹洞宗 宝持寺に葬られた。



一色氏の由来及び発祥について  (一色町学びの館)



 一色という言葉の意味は、一種類という意味で中世の田制からきています。一種類の年貢または課役を領主に負担し、他は全て免除された地名です。古文書により一色浦(現在の愛知県幡豆郡一色町)として知られるようになったのは約700年余り前からです。
 
 一色氏の発祥は、鎌倉時代、足利泰氏の七男公深(こうしん)が三河国吉良の庄一色に住んで初めて一色姓「一色公深」を名乗りました。これが一色氏の発祥になります。