一色氏の祖
◆一色範光
(のりみつ)
慈雲寺 本堂
一色修理大輔範光墓
観応元年(1350)大野宮山城主一色修理大夫源範光公が、名僧夢窓国師を招いて開山とした禅刹である。ご本尊は範光公の念持仏で恵心僧都の作だと伝えられる。
知多市岡田太郎坊108−1
慈雲寺境内にある
範光の死(1388年)を悼んで書いたと言われる、時の摂政・一条良基の「悼文」の掛け軸が、寺宝としてのこされているそうです。
正中2年(1325)生まれ。範氏の二男・直氏の弟。
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五郎・左京大夫・修理大夫・兵部少輔・入道信伝
元弘3年(1333)父範氏に従って丹波国篠村(現亀岡市)八幡宮へ参陣した。12才の初陣であった。
貞和2年(1346)8月、兄直氏と南党討伐に九州へ下った。後に父範氏と兄直氏が上洛した後も九州に留lまって転戦した。
延文2年(1357)11月筑前の麻生山の合戦で菊池氏に大敗し長門へ走ったが、翌3年3月幕命により上京した。
貞治元年(1362)11月幕命により南党山名時氏を丹波に攻めた。時氏は翌2年北朝に降った。
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貞治3年(1364)伊勢の守護に任じられた。守護代は石川佐渡守長貞。
(同年幕命により丹波・丹後を攻めて占拠軍として滞在していたが守護の任にはついていなかった)
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同5年(1366)8月若狭守護に任じられた。守護代は小笠原蔵人長房。
初めて一色氏による若狭守護である。
至徳
3年(1386)10月21日、将軍義満が範光の案内で九世戸(文殊)へ参詣し、若狭を巡遊した。
満29才天橋立を眼下に望む丘に登って「ああ是まさに宇宙の玄妙なるかな」と吟じたので玄妙のと名付けられた。
●嘉慶2年(1388)正月24日に卒した。