丹後守護
 ◆三代 教親(のりちか)

 応永26年(1419)生まれ。 義貫の弟持範の弟で初名範親で将軍義教の諱を拝受して改名した。
 
 左京大夫・侍所頭人・相伴衆・歌人として著名 

 丹後・北伊勢・山城・三河渥美郡・尾張知多郡・東海郡守護
 
 義貫が大和で誅殺された翌日将軍義教の命によって伯父の京の義貫邸の接収に赴いて、これを拒んだ遺臣らと戦って多くの死傷者を出した。
 
 血族である伯父の館を攻め、家臣を殺害された丹後の遺臣の怒りは凄まじく、また74年も支配した若狭を奪われたことは耐え難いのもがありこの後武田と教親に対する抵抗が続き丹後へ入国した微証はない。

 嘉吉元年(1441)義貫の遺臣が若狭で蜂起し、武田の接収を拒み武田信賢がこれを鎮圧した。

 宝徳3年(1451)11月28日一色教親頓死33才