貞純親王 (さだずみしんのう)
 

貞観15年(873年)? - 延喜16年5月7日(916年6月10日))は、日本の平安時代前期の皇族。
桃園親王とも。

清和天皇の第六皇子で母は棟貞王の娘。王子に源経基、経生王がいる。経基王、経生王は共に源姓を賜り臣籍降下している。清和源氏の祖とされている。。ほか、兄弟に貞保親王がいる


京都市上京区 首途八幡宮(かどではちまんぐう)
           
一条大宮の北西に、平安初期、貞純親王(さだすみしんのう)の屋敷があり、桃園と称した。祭神を、桃園親王とするのは、ここからくると思われる。貞純親王が清和源氏の祖であることから、義経の伝説も生じたのであろう。
地名辞典(角川)によると、御祭神についても、応神天皇、比売大神、神功皇后とはなっているのですが、一説には、桃園親王とも言う。(雍州府志)

清和源氏とは、第56代陽成天皇の6番目の息子であった貞純親王から、源氏の姓を賜っています。、系統的には、この貞純親王(さだすみしんのう)→ 源経基(みなもとつねもと)から、武家として流れを汲んでいるようです。


 


清和源氏は源経基が9世紀に端を発し、1200年後の現在では、
(一代が約三十年として、40数代を経て)、約2百万人以上の後裔があるといわれています) 
清和天皇の血をひいた人達が、嫡流、庶流を問わず、清和源氏一族を形成しています。