宇和海のコロンブスと言われた男  
The man called Columbus of Uwakai

アメリカ亀やん 吉田亀三郎 
Yoshida kamesaburo


●宇和海のコロンブス吉田亀三郎、初の太平洋帆走横断
  
             (日本の海洋における冒険航海の創始者の一人)

 愛媛県保内町川之石(現八幡浜市川之石)吉田亀三郎ら5人(魚崎亀吉・清水金次郎・河野鹿之助・河野楽末)は1912(明治45)アメリカでの成功を夢見て、地元宇和海の帆曳き漁船住吉丸(打瀬船)に乗って、日本人として初めて太平洋を帆走横断しました。(着地はアメリカのサンディエゴ北方)
 
 装備や機器類などろくにない時代に磁石と分度器だけでの航海です、亀三郎たちはこのわずかな道具を使って北極星と船の角度を計測しながらの太平洋横断航行でした。

 航海は過酷で太平洋の嵐は荒波が想像に絶するものでした、そんなとき亀三郎は船体に体を縛りつけ舵をきり、「もうだめかもしれない」・・・亀三郎は故郷を思い家族のことを思い描きながら、舵を握り続けたのです


出港から1ヵ月半後、住吉丸はハワイ諸島に差し掛かりましたが予定のコースを大きく外れてしまい、住吉丸は正確な位置さえつかめなくなっていました、東へ進めば必ずアメリカに着くそう励まし合って彼らは住吉丸を走らせました乗組員の一人が、はるか彼方に陸地を発見したのはそれから十日後でしたアメリカだ!しかしよく見ればそこは溶岩の島地図を見た亀三郎は愕然としました。

 なんと出港から二ヵ月後に見た島はガラパゴスでした。住吉丸はハワイ諸島からさらに南へと流されていたのです。進路を北にとって船を進めるほかはありません、すでに食糧も水も底をつき始めていました。一日一食。柄杓一杯の水で渇きを癒し、それでも亀三郎たちはあきらめることなく航海を続けました。

 そして、二週間後、大海原の向こうに陸地がぼんやり見えてきました。「今度こそアメリカ大陸に違いない」こうして住吉丸は目的地シアトルから2000キロ南のサンディエゴの海岸にようやくたどり着きました。日本を発って実に76日目。明治45年の今日、7月18日のことでした。

 その航海を通じて、日本の伝統的な和式帆船の航洋船としての性能を初めて国際的に認めさせました、この住吉丸の航海は、世界で初めて個人の船で最初の太平洋帆走横断でした。

 現地では、漁師としての帆船操縦術を駆使し太平洋を帆走横断した偉大な冒険航海者」と敬意を持って受け入れられただけでなく、既に渡航して先住していた太平洋沿岸の移住日本人社会に大いに面目を施すものと大歓迎されたようです。
 
 吉田亀三郎率いる4名の「太平洋横断」は成功しましたが、移民局に発見され、結局この時は、強制送還されました、本来の目的の「アメリカてお金を稼ぐ」という事から見れば失敗でした。

 しかし亀三郎は
翌年もまた川之石港から大規模に25人の仲間を引き連れて2度目の太平洋帆走横断をなしとげカナダへ上陸しました。

この時は取締をのがれカナダに上陸しアメリカに移動して新しい生活が始まりました、現地で漁業等に従事して財をなし、日本にも何度か帰国しています。(亀三郎は5回渡海)

 記録によればカナダ東部の鮭魚場で漁師として働き、ポートアルバニーでは亀三郎最後の漁場で一番の船頭としてサーモン漁等で行なわれるトローリング漁法(打瀬舟漁法?)を現地の漁師達に教え現在まで受け継がれているそうです。

  吉田亀三郎58歳の時、現地で脳出血のため死去。

 彼の航海に影響されて、その後も真網代や三瓶から4隻もの帆走漁船(密航船)が太平洋を横断する先駆者となったそうです。

 
 今は亡き冒険家の河野兵一さんもお隣の瀬戸町出身です。皆さんの勇気は現在もひき継がれているようです!

詳しくは小島敦夫

 ◇吉田亀三郎顕彰費碑

  表 − 渡米 先覚  吉田亀三郎顕彰碑 安岡正篤書
  裏 − 吉田亀三郎は、明治五年二月二十八日、川之石村楠浜に生る。

  幼少より海に親しむ。長じて海外雄飛の大志を立て、明治四十四年合衆国に密航するも、捕らえられ送還さる。しかれども雄心なお止み難く、同志あい語らい、再度渡航を計画す。

大正二年五月八日自ら船長となり、2間×7間半(13メートル足らず)の打瀬船に身を託し、一行二十六名、川之石を出港、太平洋横断の壮挙に出ず。

 途中、暴風雨に遭遇すること再度、無卿、不安、生死の間を彷徨し、あらゆる困苦に迫られるも、船長の統御よろしきを得、乗員一同の結束かたく、遂に日本出発以来四十有六日にしてカナダ、クインシャーロット島を経、七十五日目、ベラベラに上陸す。

 思うに、この壮挙は、米国移民法により当時は密航の謝り謗りは免れざりしも、自ら萬里波濤を蹴って困苦欠乏に耐え、海外雄飛の大望を決行せしは、まことに世人をして驚嘆振起せしむると共に、今日、一行中の平家宗春、現在カナダ人としてトロント市に在住するも、船長の恩義忘れ灘く、墓参帰国の機に郷薫有志と相はかり、この地を定め碑を建立し、後世に遺す。
                                                                
                                                      昭和三十八年十一月吉祥日



宇和海のコロンブス吉田亀三郎、初の太平洋帆走横断出発港 川之石港 愛媛の海より
宇和海 打瀬舟 亀三郎顕彰碑 川之石港 東洋紡績川之石工場跡 造船所

八幡浜市保内町 川之石港
保内町は佐田岬半島の付け根に位置していて北と南はそれぞれ、瀬戸内海と宇和海に面しています。
高台から見下ろすと保内湾が宇和海へとつづき前方に「愛媛20選」に選ばれた景勝地「諏訪崎」や国の天然記念物に指定されている地震の化石とも言われている「シュードタキ」ライト」という珍しい岩石と「変成岩類」が分布する「大島」等が見渡せ、まさに絶景です・・・
又、川之石港周辺は東洋紡績赤レンガ倉庫跡等明治の町並みを残してるちょっとハイカラでレトロさを感じさせる港町です。