100余年もの昔、アメリカ大陸に夢を馳せ、打瀬舟と呼ばれる小さな帆船で太平洋を渡った先人
Predecessors who crossed the Pacific Ocean with the small sailing boat which drives a dream to a U.S. continent a long time ago [ about 100 year thing ], and is called utasebune


「北針の物語」 船長 上野留三郎
"Tale of the north needle" Captain RusaburoUeno



●冒険とロマンの浜 真網代源蔵前
当時の「天神丸が出港した八幡浜市真網代の源蔵前

 大正2年、今から80年以上も前のことです小さな入り江、八幡浜市真穴地区の真網代源蔵前。 アメリカに夢を馳せた川上の浦人15名が太平洋横断を期し小さな入り江、,,真網代源蔵前からわずか15メートルほどの打瀬船と呼ばれる帆船でこの地を出航したのです。

 彼らの船は伊方村豊之浦で千円で購入した80石積みの和船琴平丸で、米20俵、干魚等の副食物、飲料水を積み込み、上野留三郎を船長に「簡略ナル地図及磁針ヲ準備」して1914(大正3)年旧暦の4月14日(新暦5月20日)頃、夜半密かに真網代源蔵前浜を出帆した。
 
 北針(きたばり)と呼ばれる木枠の磁石を頼りに伊豆大島までに28日、これより東北に向って潮流と帆だけを頼りに航海を続け、途中、天候不良、大波で船が転覆しそうになるなどの危険を乗り越え、伊豆大島を出て55日目にポイント・アリーナ付近に上陸した、距離にして1万1000キロ、まさに大偉業でした。

 上陸日の午前中に霧の中で出会った汽船に通報されたようで、8月9日、10日の両日に15名全員が捕えられ、再び琴平丸に収容されて小さい汽船に曳航され、14日にサンフランシスコ移民局に引き渡され、密入国の疑いで取調を受けました

 残念ながら数日後、乗組員一行は密航者として日本へ強制送還されましが、わずか50トンの小船で太平洋を横断し、勇躍新天地へと向かった15人の行動は、全米の新聞に「コロンブスのアメリカ発見にもあるまじき奇蹟なり」と報道された。

 また、そのことは真穴村の地元民にも勇気を与え、翌年、翌々年と夢を求める多くの若人たちが航海に挑んだといいます。そして、現実にアメリカで一旗揚げる者もかなりの数に上ったそうである。
 
 この話は北針物語として浦人に語り継がれ、真穴の船出の浦に顕彰碑が建っています、又この話は「北針」 (1982年): 大野 芳著という本にも書かれました。
 
八幡浜市保内町川之石の吉田亀三郎を始めとする5人が川之石港出航してアメリカ、サンディエゴ市北郊のフラットロック海岸に着いてから3年後のことでした。

現在の源蔵前に作られた「冒険とロマンの浜・ 源蔵前」記念碑






北針(きたばり)と呼ばれる木枠の磁石を頼りに伊豆大島までに28日、これより東北に向って潮流と帆だけを頼りに航海を続け、途中、天候不良、大波で船が転覆しそうになるなどの危険を乗り越え、伊豆大島を出て55日目にポイント・アリーナ付近に上陸した、距離にして1万1000キロ、まさに大偉業。


詳しくは  大野 芳著  「北針」