世界を股に掛けた冒険家
The adventurer who spanned the world

河野 兵市
kono hyoichi

河野兵市アドベンチャーワールド


冒険家としての足跡

●1978年
(20才)、日本一周16,000kmを自転車で1年3ヶ月かけて走破

●世界一周(1981/2〜1987/11)
(23才〜29才)30ヵ国・35000km走破、
   ・1982年
(24才)、ニュージーランドを自転車で1周
   ・1982年、アラスカ・カナダを流れるユーコン川(2000km)52日間でいかだとゴムボートで漕破
   ・1982年、自転車でアラスカかrカナダを横切り、ニューヨークへ入る
         
(ニューヨークで働きながら登山の基礎トレーニングを積む)
   ・1983年7月
(25才)、マッキンリー(6194m)登頂
   ・1983年、ロサンゼルス〜ニューヨーク(6000km)を180日で徒歩横断
   ・1984年、
(26才)アメリカ三大マラソン完走、4月ボストン3時間45分、11月ニューヨーク5時間45分、12月ホノルル3時間25分
   ・1985年、
(27才)アメリカのシアトルから南米をめざし、自転車で出発。
※ (道中、シアトル近郊のレーニア山、カリフォルニアのシャスタ山、メキシコのポポカテペトル山、 オリサバ山と4000〜5000m級の山々を相次いで単独登頂)
   ・1986年1月(28才)、アルゼンチンのアコンカグア(6900m)ー南米大陸最高峰)登頂 
        3月、パタゴニア・チリ側を徒歩で横断
        7月、ペルー・ワスカラン(6768m)登頂
   ・1986年9月〜87年3月、南米大陸を自転車で縦断(ベネズエラ・カラカスから南米最南端のウスアイア迄10000キロ走破。

●1987年7月〜9月
(29才)、ヒマラヤ・ナンガパルバット(8,125m)挑戦 氷壁でアイスブロックを顔面に受け負傷。

●1988年6月
(30才)、北海道最北端の宗谷岬から鹿児島県最南端の佐多岬まで3000kmを、トレーニングを兼ね48日間で縦断。
      7月、タジキスタン共和国のコルジェネフスカヤ(7100m)とコミュニズム(7495m)に相次いで登頂。

●1989年3月
(31才)、台湾の最高峰ユイ(玉山・3997m)に登頂。

●1990年11月〜91年3月
(32〜33才)、リヤカーを引きサハラ砂漠(5000km)を129日間で単独縦断

●1994年3月
(36才)、カナダ・レゾリュートで極地訓練開始。

●1997年3月〜5月
(39才)、日本人初北極点単独徒歩行で到達。

●1998年1月、アルゼンチンのアコンカグア(6900m)に胃の全摘手術を受けた和泉伸一氏をサポートしながら登頂。

●1998年6月
(40才)、アラスカ・ベーリング海域をシーカヤック遠征。

●1999年7月
(41才)、沖縄〜松山(1300km)をシーカヤック漕破。

●2000年3月
(42才)、北極圏500Km,(グリスフィヨルド〜レゾリュート)を単独徒歩遠征。

●2001年3月
(43才)、REACHING HOME(北極点から徒歩・シーカヤックで愛媛県瀬戸町まで1万5千kmの旅)に出発するも2001年5月17日北極海でプレッシャーリッジという長い氷の亀裂に遭遇、帰らぬ人なった


河野兵市は愛媛県伊方町瀬戸川之浜で生まれ育った、川之浜は佐田岬半島のほぼ中央に位置したところにあり半農半漁ののどかな田舎町です。

この一帯はみかんの産地としても有名で彼の生家もみかん農家でした、彼は子供の頃から切立たみかん畑での手伝、県立三崎高校時代には、自宅から片道17キロもある学校まで毎日自転車で通っていました、おかげで強靭な足腰に鍛えられたようです。

そう言えばサスケさん兄弟も三崎出身ですね、年はサスケさんのほうが4才年上ですけど彼らが歌う「河野兵市に捧ぐ、痛いほどの握手を忘れない」・・・

地元紙によればボーカル タカさんが先月(2013,7.24) 病気で亡くなられたとのことお悔やみ申し上げます。



河野兵市の終わらない旅と夢
河野 順子 著