清和源氏、源 義国の流れを組む足利一族
予州一色氏祖
丹後守護一色義員三男、右馬三郎重之
(範之)
天正8年(1578年)伊予の新居郡に来る.
○ 伊予一色氏 ○
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特集 摂津麻田藩伊予領
一色右馬三郎石碑
三津屋三蔵院
青木一重公より
拝領の茶壺
一色党大坂の役時
一色馬三郎重之系図
摂津麻田藩に伝わる古文書
(一重殿=青木一重)
壬生川一色氏資料
山門両脇には狭間塀
本堂
伊予西条一色右馬三郎重之菩提寺 長福寺
○ 関 連 ○
400年祭事務局ホームページ
一色昇二氏制作
◯清和源氏 一色氏◯
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◯伊予松山 一色氏◯
御祖
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平成の周桑郷、周布の地から湧き出る温泉につかり、弥生時代からの香りをご堪能ください。
「
西條誌」
天保七年(1836)西條藩編纂地誌
先祖宮内少輔公深というもの、三河国吉良庄一色村より出す子孫その村名をとりて氏とし、移って丹後国 宮津の城にいる右馬三郎重之というもの、天正年中、宮津の城を落ちて当国に来たり、高外木(たかとき)城の石川氏の客たり、後に周敷郡周敷村三谷の城主荒井藤四郎を討ちてその地を領すという。
※
愛媛県には一色姓が多く
(全国に約9,000人その内愛媛に2,800人およそ30%以上が在住しているようです、たとえば西条市では一色の苗字の多さは市内で14番目、愛媛県全体では100番目位)
県都、松山市にも沢山一色姓がいます。
一色氏のルーツは清和源氏、足利氏支流、足利泰氏の子の公深を祖して三河の吉良荘一色(現・愛知県幡豆郡一色町)から起こったため、一色姓を名乗ったとされます、室町時代中心に戦国時代末期迄は華々しい権勢をほこっていたようですが丹後流一色氏は丹後支配を最後に滅亡したとされます。
以後、最後の丹後守護一色義定の舎弟、一色右馬三郎重之(愛媛県東予地区周辺の一色氏の祖)一族の伊予に来たとの伝承を中心に大研究!
一色右馬三郎 掲示板
伊予西条一色氏余話
一色氏関係資料のご案内
丹後守護 一色氏代々控・丹後の合戦史・五老ケ岳より抜粋
御注意 各家の由来は私個人の説です。
間違っているかもしれません
ご容赦下さい
。
各家の情報を頂ければ追加訂正を致します・・
菅氏
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塩崎氏
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ご意見他何でも!
注:
このホームページは下記の書物やネット等を参考に個人的に制作しています。歴史上のことですので
事実かどうかは検証できません、従って内容等はご来訪されました方のご判断におまかせします。
参考文献 :
注釈西條誌 西条市誌 東予市誌 丹原町誌 多賀村誌 周布村誌 岩滝町 福井県誌
周布公民館誌
壬生川郷土史
一色家系図
ウィキペデア 二神系譜研究会他
丹後守護 一色氏代々控・丹後の合戦史・五老ケ岳いずれも(著者:梅本政幸氏・幸手一色氏) 一色氏末裔様、(近江一色氏末裔)芝田様、壬生川一色氏末裔様より頂きました資料等
素材提供
一色右馬三郎
◎当会は主に愛媛の一色姓関係者のルーツを研究する会です。
(一色関係の古い資料等お持ちの方があればぜひご協力下さい)